厨房の近くのブース席に座った
厨房では長身で体格のいいスキンヘッドのオッサンが調理していた
オッサン、楽しいのはいいんだけど
厨房の音楽の音量がデカイ。
で、もちろんホールでも客用に違うBGM流してるわけ
なんかもうBGM vs BGM
客の横で掃除機かけはじめるし、もうなんでもあり
それが私が好きないつものデニーズ
ホットアップルパイ。食いかけじゃなくて手をつける前の状態
“カワボンがギブソンの似せものギブボン・レスポールギターを激弾けば、タクオが宅録で破壊的なテクノを作ってきた。山之上は限りなく狂気に近い歌詞を書きそれを叫んだ。真っ白なキャンバスに段々と絵が描かれていくがごとく、彼らはゆっくりとだが、バンドマンに成長し始めているのだ。ボンクラな少年たちに、生まれて初めてそれぞれの配役が自らの手によって与えられたのだ。このセルフキャスティングの感動こそが、バンドが少年たちに与える最高の演出なのである。
“「何も知らぬくせに、映画や本の知識だけが頭の中でふくれあがっている。知識はいらぬプライドを生み、プライドは現実との軋轢を生み、耐えられなくなった少年は内へ内へと閉じていく。内面は何も生まず、そして知ることを恐れるのじゃ」
“何かを表現したいって想いは野獣みたいなものなんだ。解き放してやらないと、自分がその獣に食われてしまう。
“セックスって空想の相手と現実の相手を合致させるためのお祭りなんだなあって
“マンションのいいところ。それは、この建物には、幾百の別々のドアがあり、そのそれぞれのドアの奥にはまた別々の人間が住んでいるのにもかかわらず、こんなふうにマンション全体で今のように賑やかになったり、光ったりやわらいだりと潮の満ち引きをするところだと思う。マンションは一つの大きな生命体だとも思う。同じ波のリズムが誰も気づかないうちにここに住む人全員に浸透している。
“人が仮想から現実に落ちてゆくのだ。それにしてもなぜ“落ちる”などという言葉を使うのだろう。会話が一件落着した、という明るい意味で使われているのかもしれないけど、私は客が“落ちる”を使うといつももの哀しい気分になる。私はチャットルームにずっといなくてはならない仕事の立場だから、自分からは絶対に落ちることができない。だからいつも人が落ちていくのを見守る側である。「帰って」ゆく人にはまた会えそうな気がするが、「落ちて」いく人にはもう二度と会えないような気がするのは何故だろう。別に、あの客にもう一度会いたい!なんていう悲愴な情熱はないのだが、それでも共に濃い時間を三〇分くらい共有した人が不意に正気に返り、二人で創り上げた妄想の世界に私を一人置いてぽろりと落ちていく瞬間は、さすがにむなしいものがあるのだ。
“「確かにエッチの知識が増えていくと、その幅広さには何ものもかなわないって思いますね。闇の部分を知ることによって漠然と恐かったものが減って、世の中が狭く浅くなっていく。」
“「エロの世界は、大人にぶっつけられる前に自分から飛び込んでいったら、怖くないものなんだ。」