7/06/2011

わがままで孤独な彼女の眼前にある彼の「蹴りたい背中」




8/30/2003 初版発行 ・ 著者★綿矢りさ ・ 河出書房新社 ・ 143ページ



ちょうど手元にあったので、いまさらだが読んでしまった

2001年「インストール」により史上最年少17歳で第38回文藝賞を受賞
2004年19歳で発表した2作目が本作「蹴りたい背中」、第130回芥川賞受賞をしメディアにも取り上げられた
「蛇にピアス」金原ひとみさん(当時20歳)との同時受賞が話題になった


さびしさは鳴る。耳が痛くなるほど高く澄んだ鈴の音で鳴り響いて、胸を締めつけるから、せめて周りには聞こえないように、私はプリントを指で千切る。


上はよくひきあいに出される本書の最初の書き出し部分

主人公、女子高生のハツは学校が嫌いだ、クラスメイトが嫌いだ
自分はヤツらとは違う、そう思って周囲と壁を作る
そのくせに自分に対する周囲の目が気になる
孤独を選ぶ
自分で選んだ孤独が他人に知れるのが恥ずかしい


この、もの哀しく丸まった、無防備な背中を蹴りたい。痛がるにな川を見たい。いきなり咲いたまっさらな欲望は、閃光のようで、一瞬目が眩んだ。


ハツはわがままな子供だ
アレはヤダ、コレもヤダ、自分の思い通りにならないことにイラつく
読んでいてイライラする


あの向こうに、一番大切な箱を荒らされ、盗まれ、その上蹴られた男の子がいる。と思うと、なんだかたまらない。


ハツはあきらかに共感できるタイプの主人公ではない
応援したくもないし、むしろ嫌悪感すらある
だからこの作品は感情移入して入り込めるものではない
傍観しながら「ふうん」という感じ


だから、いかにも自分から孤独を選んだ、というふうに見えるように、こうやって窓際で食べるのが習慣になりつつある。運動靴を爪先にぶらつかせながら、私が一人で食べてるとは思っていないお母さんが作ってくれた色とりどりのおかずをつまむ。


私は集団の中での『孤独』というのは選んでなるものだと思う
その集団のスタンダードを理解し、ごく普通にふるまう
これをしないのは『できない』のではなく、やりたくないから『やらない』のだ
ハツは中学時代からの友人の絹代が同じ高校で交友関係を広めるなかで、彼女の友人たちとはなじめない
それはハツが彼女たちとは馬が合わず交わりたくないと思っているからで、やはり自分から孤立することを選んでいる


先生は物分かりいいから。運動場を整備し忘れても、体育倉庫の鍵を閉め忘れても、部活の後みんなで酒を飲んでも、こればっかり。軽蔑するような響きはまったくない。だからこそ、頭に白髪の混じった大人が、物分かりいい、なんて言われているのを聞くと、やるせない。長く生きる意味ってあるのかと思ってしまう。


最後に、ディスコミュニケーションというのははたからみてかっこ悪い
なぜかっこ悪いかというと、何かの意図で発せられた言動がその通りに機能していないからだ
成功すべきところで、かっこ悪く失敗しているのが相手にわかってしまうからだ
しかもディスコミな本人はその失敗に気づかず失敗を続けている
言葉は相手のことを考えて発信したいですよね


0 件のコメント:

コメントを投稿